カルチャーセンター臥牛館
臥牛館3つの柱「古い、寒い、面白い」
- 築年数不明。函館大火を生き残る。古くないですか?
- コンクリート造り。冬は加湿器が凍る。寒くないですか?
- それでも人が集まる。面白くないですか?
カルチャーセンター臥牛館(がぎゅうかん)は築年数不明。そんなわけないでしょう。いや、本当です。いつ建てられたのか、分かっていません。1934年の函館大火で当時の登記簿が失われたため、記録が残っていないのです。建物内に謎の構造物が多数あります。一説には、1階で馬を飼っていて2階から餌の乾草を投げ入れていたとか、乾燥昆布が山積みにされていたとか、上階から薬を落とすための筒がついてるとか、金庫状の部屋にはかつて医療用大麻を保管していたとか。いろいろなことを聞きますが、まだ確かめていません。とにかく、古いんです。
建物は鉄筋コンクリート造陸屋根4階建(屋上部の出入口を入れると5階建)です。日当たりや眺望はよろしい方だと思うのですが、中はとにかく冷えます。北国は冬の水抜き(上水道の元栓を閉めて、管の中の水を抜く作業のこと)が欠かせません。思わぬことに、室内の加湿器の水まで凍ることがあります。入居者同士の挨拶は、ひとことめに「寒いですね」。とにかく、寒いんです。
臥牛館は西部地区にあります。金森赤レンガ倉庫群やラッキーピエロ本店など、名の知れた観光名所は歩いて行ける距離です。函館山に登って汗をかいたり、緑の島でのんびり釣りができます。十字街駅から市電に乗れば、五稜郭公園や湯川温泉、谷地頭温泉に行けます。夏は函館港まつり・道新花火大会が。冬ははこだてクリスマスファンタジーが、すぐそこで行われています。ひと・もの・できごとが集まる、カルチャーセンター臥牛館。入居者はみんないい人。とにかく、面白いんです!
この建物について
建築年は不明ですが、1933年出版の『大日本職業別明細図』に大森海産店として記録が残されています。ゆえに、函館大火(1934年)を生き延びた建物と考えられています。
大火後の1935年、大森海産店として回復登記が行われ、その後所有権は北海道農業會、道南生産農業協同組合連合會、高木薬品へ移りました。1962年と1970年、それぞれに大規模な増築が行われました。
1999年、池見石油店が所有権を取得。翌年、当時の石塚與喜雄社長が「カルチャーセンター臥牛館」と名付けました。おそらくその当時に掲示された、正面出入口右側のパネルに、次の記述があります。
この建築物について
一階店舗、二階倉庫とした当時としては希にみる海産商の建物である。
商いの道に体を張った昔時を知る人ぞ知る故大森徳次郎氏の所有で多くのバイヤー(仲買人)の方々に品質管理を徹底し、カビ、腐敗などを防ぎ乾燥した最高品を提示しての商いをし財をなした。
帳場の天井は大正、昭和初期のビザンチ模様の鉄筋コンクリート造りで昭和九年の大火に見事残った建物であります。
石塚氏は、西部地区にある古い建物の多くを取得し、街のために保存活用された方です。また、第二次世界大戦末期の学徒勤労動員のうち、いわゆる学徒援農に関する資料収集に尽力されました。その成果は学徒援農資料室で公開されています。
2019年、富樫雅行建築設計事務所が所有権を取得。1階角のボイラー室を貸店舗に、4階全体をシェアオフィスにするなど、数々のリノベーションを行いました。また、街角NEW CULTUREを始めとする様々なイベント開催。地元の人が行き交う場所を演出してきました。
当社が取得に至るまで
学童クラブとして使える賃貸物件を十字街界隈で探していたところ、ご縁があって、当時池見石油店が所有していたこの建物を案内されました。そこから準備期間を経て、2014年、1階路面部分に学童クラブひのてんを開設するに至りました。
海と山がある好立地であるとともに、西部地区には当社が制作する「はこだて国際民俗芸術祭」の会場・元町公園があるというのが理由のひとつです。
当時、事務所は別の場所、史跡四稜郭の近くにありました。ただ、そろそろ「卒業」の頃合いだったこともあり、2019年、カルチャーセンター臥牛館の2階の部屋を借りて、そこへ移転することにしました。移転の効果もあって、西部地区に対する愛着がより強くなりました。
2020年、休眠預金等活用事業を手がけることになりました。そこで1階のガレージ部分を新たに賃借し、当時の所有者・富樫雅行建築設計事務所の許可と助言を得て、ひのハウスと呼ばれるプレイルームに自らリノベーションしました。
こうして建物に手を入れれば入れるほど、今後の経営方針について考えさせられるようになりました。特に学童保育所は地域を支える社会福祉施設ですので、次の世代へ受け渡していけるような枠組みが必要です。
そこで当時の所有者と協議を重ね、結論として、カルチャーセンター臥牛館を譲り受けることとなりました。
沿革 —「アジア随一のおもしろ雑居ビル」を目指して
- 新築年不明:海産商の大森徳次郎により竣工と伝わる(当時3階建て)。
- 1923年(大正12年):函館市の固定資産税の課税台帳に「建築年次」として記載されている年。
- 1933年(昭和8年):この年発行の『大日本職業別明細図』に大森海産店として記載される。
- 1934年(昭和9年):函館大火。建物は残るも法務局の登記簿が焼失したため新築年月日が不明に。
- 1935年(昭和10年):大森海産店として回復登記が行われる。その後北海道農業會、道南生産農業協同組合連合會が所有権を取得。
- 1956年(昭和31年):高木薬品株式会社が所有権を取得。
- 1962年(昭和37年):5階建てに増築。
- 1970年(昭和45年):1階および2階部分を増築。
- 1999年(平成11年):解体が予定されていたところ株式会社池見石油店が所有権を取得。石塚與喜雄社長(当時)が「カルチャーセンター臥牛館」と命名。
- 2014年(平成26年):株式会社ヒトココチが1階で学童クラブひのてんを開設。
- 2019年(平成31年):富樫雅行建築設計事務所が所有権を取得。リノベーションを実施。ヒトココチ本店が2階に移転。
- 2022年(令和4年):ヒトココチが所有権を取得。みかん箱が各階の一部につき使用貸借契約を締結。
- 2023年(令和5年):一般社団法人みかん箱が日本財団から助成を受けて「子ども第三の居場所」開設事業に着手。館内外の改修工事等を行う。
- 2024年(令和6年):みかん箱オープン。
賃貸事業
2024年10月30日現在、カルチャーセンター臥牛館に入居されているテナント様は、次のとおりです。
1F
- カフェルスカ/ココデッセベイ
- 協同組合十字街商盛会
- おひるごはんカフェtaom
- 学童クラブひのてん
- ひのハウス
2F
- 株式会社ヒトココチ
- 一般社団法人ワールズ・ミート・ジャパン
- 一般社団法人みかん箱(学びの探求塾)
- 囲碁教室
- Rダンスカンパニー
3F
- 合同会社SORA
- みかん箱(ベースキャンプ)
- 学徒援農資料室
- 屋上広場(ボールパーク)
4F
- SUMIYO TAKAHASHI Knit Studio
- 一般社団法人いとのこ
- みかん箱(スカイルーム)
これまで培ってきた「子どもたちに喜んでもらう」技術をもとに、楽しい人たちが集う場所にしたいと考えています。
写真は屋上から函館山を望む光景